カウンセリングさせてもらっていると、とっても綺麗で可愛くて、何一つ問題なんてないのに、「顔が大きいんです」「顔が変なんです」「私なんか…」ってね、お話しされて本当にビックリする事があります。育った環境や出会った人、起きた出来事、「自分以外の人たちの言葉」特に近しい人からの言葉は直に受け取ってしまうようで、出会ってすぐの私がいくら「めっちゃ綺麗で素敵ですよ」とお伝えしても、受け入れてはくださいません。
「五十嵐さん綺麗ですよ」「お若いですよ」と言ってもらっても、「ありがとう!嬉しいです♡」って素直に受け入れられたら、どれだけ幸せかと思うほど、私も自信がありません。
小さい頃に誰からも「可愛い」と言われた記憶がありません。祖母は「かなちゃんは笑っていれば可愛いよ」といつも言ってくれましたが…(笑っていなきゃ可愛くないのね…って受け取っていました(-_-;)卑屈な子供でしょ♡)
最近特に思うのですが、自分の事ってね、良くも悪くも全く他人の目から見た状態とは違うのだな…と思うんです。
「ぶさいくね」
と言われた時、とっても引きづってしまう自分がいて、ただひとりのその言葉が、トラウマの様に何度も響きました。その人の性格がどうとか、そういう問題と向き合ったのではなくて、自分の劣等感と向き合ってしまったのです。きっともっと強くて、自分に自信があれば、受け流す事が出来ても、自分がそれを元々強く信じていたから、乗り越える事が困難になってしまったのだろうと思います。
「冗談か本音のどちらか」というのが私の分析でしたが、一緒にいて何も気にせず楽しめる自信も失くしてしまって、なんだか会う事さえも、こわくなってしまいました。コトバというのは本当の自分の心を露わにさせる時もあるのだな…と思います。
「見た目に自信がない」というのは今に始まった事ではなかったのです。
劣等感のかたまり、醜い自分の姿。
逃げたいのはそういう自分から。
歳を重ねる前からパーツも気になる。肌も気になる。カラコンを入れたり、ツケマをつけたり、どれだけ上手に化粧をしても、自分は自分を知っている。スタイルが少しでも良く見える服を着る。少しでも綺麗に写るアプリで写真を撮る。
白髪も染めずに、化粧もせずに、素っ裸でいたとして、そんな私を可愛いよと思ってくれる人がいたとしても、自分で自分を受け入れていない限り、だれからの愛も受け取る事は出来ないのだろうと思います。
愛されるには、まず自分が自分を愛する事。
まず自分が自分を認めてあげる事。
それが出来ていないと、いつまでも相手に多くを求めるばかりで、そして相手を拒絶し逃げてしまうばかりで、誰かと共に幸せに生きる事なんて難しいのかもしれないな…と思います。
パートナーには長く一緒にいる親友の様な人を見つければ良いとよく言います。
少し天然で、好奇心豊か、穏やかで、大らかで、お金や物や贅沢に執着がなく、どちらかというと無口だけれど、反論もせずよく話を聞いてくれて、けなす事もしなくて、少しだけどほめてくれる事もあって、ありのままの私を受け入れてくれる、認めてくれる。
その人と一緒にいれば、優しい自分でいられて、無邪気に笑える、安心して自分の好きな自分でいられる。
そんな人がいいな…と思ってみたけれど、そんな親友がいてくれて良かったとも思いました。そんな彼女は五條市で生パスタの【キッタラ】というお店をしていて、営業時間外に四柱推命で占い師をしています。
興味がある方は一度行ってみてくださいね。何かが見つかるかもしれません。そして癒されますよ( *´艸`)
可愛いお菓子、会員様にいただいてしまいました♡嬉しかった( *´艸`)