生きながら生まれ変わるコツ

五十嵐です。こんな仲人もいるんだな…こんな考え方もあるんだな…と聞き流していただけたら幸いです。あなたの人生が良くなるお話をさせていただきたいと思います。

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後編
もくじ

人生のカラクリは意識にあった。

今日は最近私がハマっている本、「パワーか、フォースか」精神科医としても実績を積まれた著者ホーキンスの内容を軽く抜粋してみたり、分かりやすく言い表したりしています。おススメの一冊ですので良かったら是非一度購入下さい。概要欄に貼っておきますね。

さて、あなたはご自身の意識について考えた事はありますか?人には17種類の意識があり、そして全ての人が良くも悪くもその意識に囚われて生きています。

この意識は外側で色々と起こる出来事によって上下もするのですが、いずれにしても自分の意識フィールドでその出来事を見て感じているので、元々の意識が違えば全ての世界がそれぞれに違って受け取られ、そして感じていて見えているということになります。

私が思うには、それぞれの意識のメガネをかけていて、世の中を見ているという感じでしょうか?同じ場所にいる人とも、実際には同じものが見えているのに、感じ受け取っている事はまるで違うようです。

私たちは確かなものをこの目で見て、確かな事を感じている様で、実はそこまで確かなものとは言い切れない世界を生きています。自分の内側だけの「絶対こうなのだ」「間違いない」を受け止めて見て解釈しているということです。

何か足りないと感じてモヤモヤする毎日を生きておられる方にとっては、それを「間違いない」「絶対こうなのだ」と信じている事で、自分でその苦しみを選んで生きておられるという事になります。

だからこそ、生きながら生まれ変わるという事が可能であれば、私たちはもっと素敵な今日を生きられるのです。

これからご説明させていただく17種類の意識について、あなたはどの意識に囚われがちか考えながら聞いてみてください。気づく事が出来たらもっと楽しんで喜んで生きてゆける意識に移動できる糸口になるかもしれません。

厳しいコメントと私の意識

そして前回の動画のコメントであなたはそれ相応の業務や生き方をしているのか?という風な不思議なコメントをいただいたのですが、私はこの世をなるべく面白く楽しんで喜んで幸せに生きることをモットーにしています。手を抜ける所があれば抜いたら良いし、気を抜ける時には抜いたら良いし、遊びたいなら遊んだらいいし、歳を重ねればもっともっと頑固に凝り固まってくる意識を柔軟に、全ての事、例えばその不思議なコメントすらも喜び受容し、愛を持って進んでいきたいと思っています。

そして会員様に対しても人生はもっと楽しめるし、こうでないといけないと、こうならねばならないと思えば思う程、人生も婚活も苦しくなってしまうという事をお伝えしていきたいと思っています。

私はいつもあなたより下でもなければ上でもないという位置で話しをさせていただいるつもりですが、少し偉そうに感じられるとしたら、あなたは多分私より上だと思って聞いておられるから心がもやるのだと思います。私は立派な人間ではないし、これからもそれを目指して生きてはいかないと思います。そして会員様は私のその少しゆるめのなんか良く分からないけれど話してたら面白いし、なんか明るいしホッとするなーとか、そういう事を思って来てくださっている方が多いと思います。

厳しく完璧に、深刻に指導する意識のカウンセラーの方が良いのなら、きっと私を選ばないと思うのです。仲人は色々な人がいて、色んなやり方があって、色んな生活の中そのお仕事をされておられて、副業でされておられる方もいて、一律ではなくて、そこにそこの良さがあり、だから良いのだと思うのです。

レッスン①ポジティブな9個の意識について

ポジティブなパワーの意識は勇気、中立、意欲、受容、理性、愛、喜び、平和、悟りです。このパワーが強くなる程、世界が輝いて見えます。またこれらの意識のフィールドにいる人々は、他の人に対しても良いパワーを与えることが可能になります。機嫌が良く、情緒が安定しています、イキイキしていて生きてゆくパワーがみなぎっています。

結婚も決まりやすく、すぐに良い人と出会えなくてもチャレンジしていく勇気、意欲を持って諦めず楽しく笑顔で面白がって進む事も可能になります。お仕事も楽しんでイキイキと取り組むことが出来ます。悲観的にならずに今を生きることが可能になります。

あなたの中にもこの意識は少なからずあると思います。

勇気

エネルギーレベル200

200以上の生命を支えるフィールドでは、誰もが強く反応します。これは生きることに対してポジティブか、それともネガティブな影響を与えるのかを識別できる臨界点です。

「勇気」のレベルにおいて、初めて「パワー」が到来します。したがって、さまざまな能力が生まれるレベルであり、探求、達成、忍耐力、決断力の領域です。

もっと低いレベルでは世界は絶望的なものとして、あるいは悲しいものとして、恐ろしいものとして、もしくは腹だたしく思えます。しかし勇気のレベルでは、人生はおもしろく挑戦的であり、刺激があるように見えるのです。

「勇気」とは、新しいものを試みながら、人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。このレベルではさまざまな能力が与えられるので、人は難問にも対処できるようになり、やってくるチャンスをうまく生かす事ができます。

たとえば200では、新しい仕事の技術を学ぶエネルギーを得られます。成長することや学びは達成可能な目標となります。恐怖や性格の欠点に直面していても、そんなことにも負けずに成長できる能力があります。200以下のレベルでは不安に対しても無力ですが、このレベルでは努力をむだにしません。意識が200未満である人々なら打ち負かされるような障害であっても、そのレベルに進化した人たちにとっては、逆に刺激となって働きかけるのです。

このレベルにある人々は、自分たちが得るものと同じくらい多くのエネルギーを世間に返します。低いレベルでは、個人にしても集団にしても社会に貢献することなく、ただエネルギーを消耗させるに留まります。一方このレベルでは、達成すること自体が自分への見返りとなり、ポジティブな自尊心にもつながるので、次第に強くなっていき、生産的な生き方が始まります。

人類の集合意識のレベルは、何世紀にもわたって190に留まり続けましたが、この10年間にはほんの少しですが上がり、204というレベルにジャンプした事は、興味深いことです。

中立

エネルギーレベル250

「中立」と呼ばれるレベルに達すると、低いレベルから解放されるので、エネルギーは非常にポジティブになります。250未満では、意識はものごとを二つに分けて見る傾向があり、白黒で分けられない複雑で多因性の世界の問題に対しても、どちらかに固執する姿勢をとります。

しかし、そのような姿勢でいれば、二極性が生じて反対や分裂を作ってしまいます。武道では、硬い姿勢は攻撃されやすい要素となります。なぜなら、曲がらないものは壊れやすいからです。

柔軟さがあり、批判的にならないので、問題に対する現実的な評価ができるようになります。「中立」であることは、比較的結果にこだわらないことを意味します。自分の思い通りにならないことに対する恐れやいら立ちは、もはや経験しなくなるでしょう。

「中立」のレベルでは、「さて、この仕事が得られないのなら、また別の仕事でも探そうかな」と言うことができます。これは内なる自信の始まりを意味します。自分のパワーが感じられると、人は簡単におじけづいたりしませんし、他人に認めてもらう必要もありません。基本的に250のレベルがあると、浮き沈みする人生においても自然体でいられます。

「中立」のひとたちには幸福感があり、この世で生きている自信が現れます。このレベルの人達は、対立や競争、罪悪感にとらわれないので、周囲の人たちも安心して良好な関係が築けます。彼らは基本的に感情の乱れがなく、批判的な態度や他人をコントロールしようとすることもないので、一緒にいると快適です。また、中立の人達は自由を大切にするからこそ、彼らをコントロールすることも難しいのです。

意欲

エネルギーレベル310

このエネルギーのレベルは非常にポジティブで、さらに上のレベルへの入口であると考えられます。

たとえば「中立」のレベルでは仕事は適切に行われますが、「意欲」のレベルでは仕事はうまく進み、すべてのプロジェクトは成功する事が当たり前になります。成長はここで急速に早まります。なぜならこのレベルの人々は、周りから求められて進歩するからです。「意欲」とは、人生に対する内面の抵抗に打ち勝って、前向きに生きることを意味します。

レベルが200以下の人々は閉鎖的な傾向がありますが、310のレベルになるとすばらしいひらめきがよく現れるようになります。

このレベルでは、誰にでも好意をもって接する人間になれるので、社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。

意欲のある人は失業にもわずらわされません。彼らはどんな仕事でも引き受ける意欲があり、自分から天職を作り出したり、自営業を営んだりすることもあります。彼らはサービス業なども決して嫌がりません。誰に対しても協力的で、社会のよき貢献者となります。また心の内面の問題に対しても前向きになるので、人生の学びに対する大きな障害はなくなります。

このレベルの人は自己尊敬の気持ちが高く、社会からの認知や感謝、見返りといったポジティブなフィールドバッグによって、さらにそれは強化されていきます。「意欲」は他者の求めに共感し、敏感に反応します。意欲ある人々は社会を築く貢献者です。逆境から立ち直り、経験から学び、自己修正できる傾向があります。すでにプライドを手離しているので彼らは自分の欠点を知っており、他者から学ぶ謙虚さも持ち合わせています。「意欲」のレベルでは、人々は優秀な生徒となります。彼らは容易に訓練できて、社会のために多大なパワーを発揮できることを示します。

受容

エネルギーレベル350

このレベルは自らが源であり、自分自身が人生のクリエイターであるという意識と共に、大きな変容が起きます。「自分が全ての根源である」という責任を持つのは、このレベルの進化に特有なものであり、生命のエネルギーと調和して生きられる能力を獲得します。

200未満のレベルにおけるすべての人々は無力な傾向があり、自分を哀れな人生の犠牲者と見なしています。これは幸福の源や問題の原因が「向こう側」にあるという信念から起きています。

幸せの源は自分の内にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルにおいて完成するのです。

さらに進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こう側」にはなく、さらに「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内から創造されるということに気づきます。

「受容」と受身と誤解してはいけません。受身は無気力の微候ですが、「受容」とは人生をあるがままに受け入れる事です。そこには感情的な穏やかさがあり、否定を乗り越えることでものごとの見方も広がります。

人はこのレベルになると、ものごとをゆがみも誤解もなく見ることができます。経験の内容が拡大され、「全体像を見る」ことが出来るのです。「受容」は本質的にバランス、割合、適切さに関係します。

「受容」のレベルにある個人は、正しいか間違っているかを決めることに関心はなく、その問題の解決策を見つけ出すことに全力を尽くします。きつい仕事に対して不快に感じたり、うろたえたりしません。長期目標が短期目標より優先します。自己を鍛錬し、物事に精通する能力が際立ってきます。

「受容」のレベルに達すると、争いや抵抗によって二極化することはありません。他の人たちも自分と同じように権利があるので、平等さを尊重します。

また、低いレベルでは堅さが特徴ですが、このレベルにおいては、社会的な二極化は問題解決への一段階として生じていると見え始めます。したがって、このレベルでは差別や不寛容さから解き放たれます。平等には、多様性を無視しないという理解があるので、「受容」はむしろ除くことよりも全体を含めます。

理性

エネルギーレベル400

低いレベルの感情を超越できると、まっさきに現れるのが知性と合理性です。理性があると複雑で膨大な量のデータを扱うことができます。すなわち迅速に正しい判断をすることができます。関係性の複雑さや深さのレベル。微妙な違いを区別し、理解することができるのです。

これは科学や医学のレベルで、一般的にひらめきを概念化することや読解力が増大します。

このレベルでは、知識と教育が「財産」として求められます。理解と情報が達成の重要な手段となる事が、400レベルの特徴です。これはノーベル賞受賞者や偉大な政治家、最高裁判長といったレベルです。アインシュタインやフロイト、そして歴史に残る偉大な思想家の多くがこのレベルで測定されます。

このレベルの短所は、概念や理論についつい夢中になり、「木を見て森を見ず」の状態になりやすいことです。つまりシンボルそのものや、それが表すこととの違いを明確に識別することにとらわれたり、因果関係の正しい理解を制限させてしまう「客観的な世界と主観的な世界の違い」に混乱させられやすいのです。

このレベルでは基本的なポイントを逃してしまいます。理性を働かせること自体が最終目的となりうるのです。「理性」には限界があります。その範囲内で本質や複雑な問題の重大なポイントを見抜く力はありません。それに加えて、理性は通常「前後関係」を見落としやすいです。

「理性」だけでは真実を見出すことはできません。理性は膨大な量の情報と資料による裏づけを生み出しますが、そのデータと実際に起きる結果の矛盾を解決する能力には欠けています。全ての哲学的な論争は、単独では説得力があるように思えます。しかし、「理性」は論理的な方法論によって支配されている技術的な世界では高い効果がありますが、逆説的に「理性」そのものが意識のより高いレベルに達することへのもっとも大きなブロックとなります。

このレベルを超越できる人は世界人口のたった4%にすぎず、私たちの世界では極めて難しいことなのです。

エネルギーレベル500

私たちが通常「愛」と呼んでいるものは、肉体的な魅力や所有欲、コントロール、エロチシズム、目新しさなどが合わさった激しい感情的な状態を刺しています。それはとてもはかなくて壊れやすく、満ちては引く潮のように状況によって変化します。

関係性にもどかしさを覚えると、この感情は仮面を外し、本来持っていた怒りや依存関係が明らかになることがよくあります。愛が憎しみに変わる事はよく知られています。しかし、そこはここでいう「愛」ではなく、むしろ依存的で感傷的な類のものといえます。そのような関係性には本当の愛はおそらく存在せず、プライドによる憎しみから生じているのでしょう。

500レベルは、無条件かつ不変で永久的な発展によって特徴づけられます。その源泉は外部の要因に依存していないので、決して揺らぎません。

愛する事とは、心のあり方です。世界に対して許し、養う、サポート的な在り方です。

「愛」は、理性や頭から発せられるのではありません。ハートから発せられます。その動機の純粋さゆえに他の人たちのエネルギーも引き上げるなど、「愛」にはきわめて大きなパワーがあります。

このレベルに達すると、物事の本質を識別する能力に優れてきます。問題の真髄がフォーカスの中心となります。理性を使わずとも、問題の全体を瞬時に認識する能力が生まれるのです。

それに加えて、特に時間とプロセスに対するとらえ方がそれ以下のレベルよりも大きく拡大します。理性は細部だけを扱いますが、「愛」は全体を扱います。この能力は、よく直観に関係しているとみなされています。その理由は、連続して現れる象徴を頭の中で解読するのではなく、直感でとらえるからです。この現象は抽象的だとみなされますが、実際にはかなり具体的です。それは脳内で測定できるほどのエンドルフィンが放出されることを伴うのです。

「愛」は立場にとらわれず、区別をしないので、その結果グローバルに広がります。もはやここにはどんなバリアも存在せず、「他と1つになる」事が可能です。したがって「愛」は包括的であり、自己に対する意識が徐々に拡大していきます。

「愛」は生きとし生きるすべての存在のありのままの表現のすばらしさに焦点を合わせて、ポジティブさを増大させます。ネガティブなものを攻撃するのではなく、それをリセットすることによって解消するのです。

このレベルは、本当の幸福のレベルではありますが、世間は「愛」というテーマに、つい惹きつけられてしまいまいす。そして、まともな宗教は全て500以上で測定されていますが、意識の進化のこのレベルに達している人間が世界の人口の4パーセントしかいないことは興味深いことです。さらに言えるのは、たった0.4%の人間が540というレベルで測定される「無条件の愛」に到達してるということです。

ここで測定と出てきましたが、測定の方法がありますが、長くなるのでそこは本書をご覧ください。私は測定し判断する事よりも今より意識レベルを上げて良くなる為の「気づき」の方が大切だと思っています。

喜び

エネルギーレベル540

「愛」がますます、無条件の質へと変わるにつれて、あなたの内側から喜びが湧き出る事を経験するでしょう。これは、突然何かが原因となって起こるようなものではなく、すべての行動に常に伴い、一瞬一瞬の中に感じられるものです。この状態の証となるのは「自愛」です。このレベルに達すると、他の人々にはっきりとした影響を与えます。このレベルに達した人たちは、長時間相手の目をじっと見つめる事で、人々を愛と平和の意識に導く事ができます。

540台の上部レベルから見る世界は、完全なる想像と絶妙たる美しさで輝いて見えます。全てが共時性をもって自然に起こり、世界とそのすべてが、愛と神性さの表現であることがわかります。個々の意思は真意に溶け込みます。それを人は「奇跡」と呼びますが、何か自分よりもっと偉大な存在が身近に感じられて、その存在のパワーによって、通常の現実で受け止められる感覚以外のものが感じられる現象が起こります。

このレベルにおける人間の、他者に対する責任感は、低いレベルで示される責任感とは質が異なります。特定の人間のためではなく、むしろ生命そのもののために意識を使う願望があります。多くの人々を同時に愛することができる能力は、愛が深まれば深まるほど、自分の「愛する能力」の領域の広大さを発見することになります。

このレベルの特徴として、臨死体験が挙げられます。臨死体験を経験した人は、540~600のエネルギーレベルとなり、意識が変容する経験をすることがあります。

私が思うにはよく「死にかけた」とか「大病を患った」「大きな事故にあって大怪我をした」という方が、まるで生まれ変わったような別人になって、全ての事が「ありがたい」と実感できたとお聞きする事があります。そして、そんな経験をしなくても「もしも足も手も切り落とされて、食べる楽しみも奪われて、目ん玉もくり抜かれ、そしてその後今の状態に戻れたら、あなたは初めて今持っているものが、いかに豊かなものだと気づき喜べるのですか?」と「愚痴、不満ばかり」の人にお伝えする事がありますが、そういう事なのかもしれないと思います。

「ないものばかりにフォーカスしないで、もっと恵まれていることに気づいて欲しい」「もっと今ある人生に喜んで欲しい」と私が願うのは、「喜び」という意識がパワーとしてはとても高い割には、身近で一番気づき受け取りやすいのではないかと思っているからです。喜びは感謝に繋がり、そして喜びは幸福に繋がっています。「ありがたい」という気持ちが今当たり前になっている、あなたのその手にある幸せなのだという事にいつも気づいて欲しいと願っているのです。

もちろん、私もそうありたいと思っています。

結婚していても結婚していなくても、わたしたちは幸せに生きられる。最高に幸せに生きられる。その全てはここの感覚を意識する事でパワーを上げていけるといつもお伝えしています。持っているものを、もしも当たり前と思い感謝出来ないのならあなたがあつかましいだけです。結婚出来ないと嘆くのであれば、嘆くよりも感謝してお見合いに向かった方が絶対に流れは上手くいくはずです。

デートでも喜び、交際でも喜び、不足ばかりをあげつらう事がなければ、あなたの喜びが相手にとっての喜びにも繋がるのですから、成婚も喜ぶ人の方が、喜び感謝できる人の方が必然的に結婚が決まりやすくなるでしょう。少しの事では満足しない、喜べない人を結婚相手に選びたいとはあまり思わないでしょう。

エネルギーの低い人にとっては、今日喜びという感覚に浸る事がとても難しい作業になるでしょう。喜ぶ才能も思い込みを外す工夫や素直さ、柔軟さが必要になると思います。

そして不満があって、不足ばかりで、それを解消できなのなら、そのようなお付き合いなら潔く手放すことです。自分の心が「この人といたくない!」と叫んでいるのに聞いてあげず、ご自身の気持ちを無視するのはどうしてですか?

「もうあなたには他にいないんだから!」「条件が良いんだから!」それは自分を守り大切にしていることになるのでしょうか?そんなあなたは本当の自分への愛「自愛」が足りていないのではないですか?スパルタで自分に無理させてしまって、既に沢山の思うところがあるお相手と、無理に成婚してもあなたが本当に欲しかったお幸せは見つかるのでしょうか?

平和

エネルギーレベル600

このエネルギーフィールドは「超越」「自己実現」「神意識」と呼ばれる状態に関係しています。これは非常にまれです。このレベルに達すると主観と客観の区別がなくなります。
至福の状態が連続して起こるため、自らの世界を切り離し、通常の生活をやめてしまうことも少なくありません。ある人はスピリチャルな指導者となります。人類の改善のために匿名で活躍する人もいます。また各々の分野で偉大な天才となり、社会貢献をする人たちも生まれます。これらの人々には神々しさが満ちており、いずれは公に聖人として認められるかもしれません。そこから見た世界はじっと固定しているものは何もなく、すべてが生き生きと輝いています。このすさまじい気づきは理屈では説明が出来ないので、心は思考することをやめ、永久の静寂が訪れます。無限のパワーの存在によって、すべてがつながり合い、優しさに満ちあふれていますが、同時に石のように強く確立されています。

悟り

エネルギーレベル700~1000

これは歴史上の偉大なマスターのレベルです。すべてが「神の意識」につながっていて、時に彼らも神と同一視されます。またこれは強力な霊感のレベルです。こういった人たちは、すべての人類に影響を及ぼす事ができるエネルギーフィールドを設定します。自己の意識と神の意識が一体化します。意識の進化の頂点を示します。ブッダやイエスキリストが最高のレベルで測定されます。

600以上のレベルに達している人は世界で1000人に1人程度ですので、700以上となるともっと少ないという事です。

なので最高値である意識と勘違いしがちな事でもありますが、人の心に取り入る悪質なスピリチュアルや宗教団体のパワーは低く測定されます。まがい物であるかは測定により分かります。長くなるので詳しくは本書を読んでくださいね。

レッスン②ネガティブな意識について

恥、罪悪感、無気力、深い悲しみ、恐怖、欲望、怒り、プライドという順にネガティブではあるものの、この順にパワーを持っています。この領域で生きる人は情緒が安定せず、すぐ怒ったり、イライラしたり、自分にも他人にも厳しかったり、パワーが下がれば下がる程、生きる気力を失い消えてしまいたいとまで思ってしまいます。

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エネルギーレベル20

死に最も近いのが「恥」のレベルです。なぜなら、恥があるからこそ意識的に自殺を選ぶか、受動的な自殺を選択するのです。

私たちはみな「面目を失うこと」つまり信用をなくすことや「失脚」の苦しみを、何らかの形で知っているのです。フロイトによると恥の意識は神経障害を引き起こします。「恥」を根底に持っていると、恥ずかしがりやで、内向的でよそよそしい性格になります。

意識レベルが20しかない人の行動は危険です。彼らは思い込みが激しく、幻覚を見たり奇妙な犯罪を犯すこともあります。カッとなりやすく、我慢することができません。「恥」は性格全体のレベルを引き下げることから、恥だけではなく、他のネガティブな感情によって傷つけられやすい結果を招くので、愚かな自尊心や怒り、罪の意識をよく起こさせます。

婚活をしていると、よくパワーの強い「プライド」の感覚からこちらの「恥」の感覚、無価値感を感じてしまうこともあります。プライドが高すぎる人ほど度重なる出来事で傷つく事になり、パワーが落ちてしまう事があるので、私としては「プライド」→「上手くいかない」とか「婚活して何年たった」とか「フラれた」→「恥」になるという事が、婚活を諦めてしまう元にもなるので、なんとかパワーを維持してもらうために、「プライド」を捨てて「勇気」「理性」「喜び」のフレーズで生きていただく事が理想ではありますが、それが難しいのなら「プライド」→「怒り」に移動した方が、まだ続けてゆけるのではないかとお伝えしています。それも少々問題はありますが「恥」などの感覚に陥るよりはその人にとってはマシだからです。

断られた→「こんにゃろーめが!俺の私の価値が分からんのか!残念なやつめ\(◎o◎)/!」ぐらいの気持ちの方が「恥だ…消えたい…」と考えるよりはましという事です。消えたい恥さらし屈辱と受け取ってしまえばうつ病にもなりかねません。悪口は良い悪いの二極化で表した時、悪だと、とても嫌う人もいますが、別にそこまで完璧に生きなくてもゆるめて自分の生きやすい方向を見つけ、一時的に簡単な方法で自分を守る手段があっても良いと私は思っています。

あと、愚痴や文句を言うのなら下向きに言わず、上向きに言うようにとお願いしています。なぜなら暗い雰囲気ほど、また暗く深刻な出来事を呼び、それは循環するからです。深刻過ぎる雰囲気はいつまでもご本人を救う事がありません。

「あいつめーなんでやねん…ブツブツ…↓」っていうよりも「こんにゃろうめがー↑こんにゃろうめがー!↑」言い方ひとつで気の流れが変わります。良い悪口もあるんです。明るくてポンコツに見える人の中にも意識のパワーがとても強い人がいます。自分の行動をコントロールし過ぎず、自由に出来る部分をおいておく方が人としての余裕に繋がります。

私も同じです。現に私はそこまで業務業務と思っていませんし、仕事を努力や苦痛と思っていません。私が苦しめばみんなが良いってものでもないし、余裕がないと会員様の対応も余裕があるものになりません、自分が幸せで機嫌良くいられる環境を整えて、そして伸びやかに生きる部分が私たちには必要なのです。それがないと他人の素行が気になったり、他人を許せないといった事にも繋がり、自らのパワーを落としてしまうからです。

罪悪感

エネルギーレベル30

罪悪感にとらわれてしまうと、結果として「罪」の意識に支配されてしまいます。それは誰に対しても「許さない」という態度をもたらします。罪悪感は激怒を引き起こし、その表れとしてしばしば「殺し」が起こります。

何もそこまで悪いこと、犯罪を起こしたわけでもないのに「申し訳ない」と言う気持ちに陥りやすい人がいてその方は自分を「悪」としてしまいがちです。同じ事をしていても「五十嵐さんいつもありがとう!感謝」って思える人と「五十嵐さんにいつも迷惑をかけてしまってごめんなさい」と感じてしまう方がいる事にも、受け取り方の違いを感じます。

交際していても「ごめんなさい」「申し訳ない」「迷惑をかけてしまった」と感じてしまう方は自分が自然に感じていると思っておられますが、起きた出来事と感じる事との間にはいつも「受け取り方の癖」がある事を理解していただくようにお願いしています。

「受け取り方を変える」ということは「生きながらにして、生まれ変わる」ことでもあり、右の手で持っている箸を左で持ってみるほど不自然に感じてしまうものですが、なんとかしてその癖に気づき始める事で、自分を無意識に罰し不幸せにしている受け取り方から自分自身を幸せにする受け取り方に段々変わっていける事があります。

ご自身が気づき変わりたいと心から願えばのお話です。

無気力

エネルギーレベル50

このレベルには貧困、絶望、希望を失うといったことが特徴として挙げられます。世界や未来は灰色に見えるでしょう。哀れな感覚が人生の中心となります。

無気力は、希望を失った状態です。その犠牲となった人は物質的にだけでなく、あらゆることに貧困状態で、生きるエネルギーにも欠けています。その結果、外部の援助者からエネルギーが供給されない限り、最悪の場合、自殺に至る事もあります。

生きる意思がなければ刺激に対して反応もせず、彼らの目はものを追う事をやめて、提供された食物を飲み込む充分なエネルギーさえも残りません。絶望があっけらかんとその人を見つめるだけです。

これはホームレスなど、社会から見捨てられた人のレベルです。また、多くの高齢者や、慢性あるいは進行性の病気によって隔離された多くの人々の運命でもあります。無気力は依存的で、周囲からは重荷として感じられてしまいます。

社会は、このレベルの文化や個人に対して、何らかの支援をしようという思いがあまりにも欠けています。なぜなら彼らを「社会のクズ」と考えてしまうからです。

無気力は希望を放棄したレベルです、そして、それと実際に直面する勇気があるのは、マザーテレサの様なわずかな人間に限られています。

私はお腹一杯ご飯が食べられる日本のパワーレベルは多分、飢餓に苦しむ国よりも比較的高いとは思います。お腹がすいている、寒いというのは、とても辛いことです。一方で物が溢れすぎているからこそ「無気力」に苦しむ人が多くなっている様にも感じてしまいます。多くのものを与えられ、過干渉なぐらいに、親から転ばぬ先の杖を出してもらい、何不自由ない暮らしをしていた人が自分の好きな事も、自分の行きたい場所も、自分のやってみたい仕事も分からなくなっているという事があるのです。

ないという世界にはあるのに、あるという世界にはないもの。

満たされ過ぎて、間違いのない、親によってつくってもらった道を生き、失敗を悪とする世界で生きていると、特に親に反発する術もなく【良い子を演じ】「自分で自分の道を切り開く、開拓してゆく意欲や勇気を、失ってしまう事もあるのかもしれません。

深い悲しみ

エネルギーレベル75

このレベルは悲しさ、損失、依存に関係しています。人は誰でも一時期このレベルを経験し毎日が、このレベルに固定されてしまうと、耐えず続く後悔の中でうつ病のような生活を送ってしまいます。これは、過去に関する悲しみや死別、後悔のレベルです。

何かにつけて常に負ける事を経験する人や、負けることが当たり前になっているギャンブル依存症のレベルでもあります。時として仕事や友人、家族、チャンスなどを失ったり同様にお金と健康も失う事があります。

人生の早い時期に大きな悲しみを経験すると、成長するにつれて「人生とは悲しみだ」と言う境地にとらわれるようになりなす。子供を見ても、人生そのものを見渡しても(いや、何を見ても)悲しみに支配されるので、人生が「悲しみ」に色づけされてしまうのです。

深い悲しみは無気力よりはまだエネルギーがあります。したがって、トラウマの影響によって無気力の状態に陥っている患者が急に泣き始めた場合、それは回復に向かっているサインです。いったん泣き始めると、彼らは再び食事ができるようになるからです。

恐怖

エネルギーレベル100

100のレベルになると、エネルギーが出てきます。危険に対して恐怖を抱くことは、健全だということです。

世界の大部分は恐怖に支配されていますが、それが人間のやむことのない行動の源となっています。敵に対する恐怖、拒否されることへの恐怖など、数多くの社会的恐怖が、多くの人々の生活における基本的な動機づけとなっているのです。

このレベルから見ると、世間は罠と脅威の危険でいっぱいに見えます。「恐怖」は全体主義国家が人民をコントロールする為に好んで用いる制度です。そして「不安」は主に経済を巧みに操る手段です。

「恐怖」は増殖的な性質をもっており、人間の「想像力」と同様に限界がありません。ひとたび人間が「恐怖」に取りつかれると、世の中が限りなく恐怖の餌食となります。

それはさまざまな形で現れます。たとえば、関係を失うことへの怯えは嫉妬となり、慢性的な高いストレスを引き起こします。恐怖はパラノイアとして膨らむか、あるいは防衛的な神経症の構造を作り出します。また恐怖は社会全体に蔓延することもありえるのです。

恐怖は個性の成長を制限し、疎外することにつながります。「恐怖」より上のフィールドに上昇するためにはエネルギーを要するので、抑圧されている人は自分でより高いレベルに達する事ができません。したがって、恐怖に取りつかれている人はそこから解放されたいがために、自分の恐怖を征服したかのように見える強いリーダーを求める傾向にあります。

欲望

エネルギーレベル125

このレベルでは、さらに多くのエネルギーが出てきます。「欲望」は目標を達成するか、その見返りの為に努力するようにと、私たちを動かします。お金や名声、パワーを得ることに関わる欲望が、恐怖のレベルから抜け出した多くの人々の人生において優先的な動機となります。

また欲望も嗜癖(しへき)のレベルになると、渇望が人生そのものよりも重要になることがあります。実際に欲望の犠牲者は、自分の動機の基盤が何であるかに気づいていないのでしょう。

どうしても周りの人の注意をひかなければいられない人達もいて、彼らのきりのない要求に人々は離れていきます。また、性的に認められたいという切望が化粧品やファッション業を生み出しました。

欲望は蓄積することや「強欲」にも関係しています。しかし「欲望」は絶えずなんらかの目的に向かうエネルギーフィールドなので飽きることを知りません。したがって、1つ満足を得ても、他の満たされていない渇望に取り替えられてしまいます、たとえば億万長者は、さらに莫大なお金を手に入れることに取りつかれたままの傾向があります。

欲望は「無気力」や「深い悲しみ」よりも明らかにエネルギーの高い状態です。それは「得る」ためには、まず「欲しい」というエネルギーが必要だからです。テレビは抑圧されている多くの人々に必需品を教え込んで、生活の向上を求めさせることで活気を与えています。

「無気力」よりはある程度人を動かせるので、大きな影響力があります。欲することは、それ以下のレベルよりも、私たちを達成への道へのスタートしやすくさせてくれます。したがって、「欲望」は意識のより高いレベルへの飛び込み台となります。

私は確かになぁと思いました。人が動く時に「欲望」のパワーは大きく、成功し成し遂げてもいつまでも満足しない永遠に乾いた状態の人もいるけれど、「欲望」のパワーでのし上がった上に、感謝の心が溢れて来たりして、周りの人の為に立ちまわったり社会貢献を始める、パワーアップする人もおられるからです。

怒り

エネルギーレベル150

「怒り」は殺人や戦争に通じるかもしれませんが、エネルギーレベルとしては「死」からはるかに遠いものです。怒りは創造と破壊の両方に通じています。

「無気力」と「深い悲しみ」から抜け出て「恐怖」を乗り越えると、「欲望」という意識が出てきます。「欲望は」フラストレーションに通じ、そこからさらに「怒り」に通じます。したがって、怒りは圧迫から自由へと猛烈な勢いで向うテコとなるかもしれません。社会的な不公平感や、処罰、不平などに対する怒りは、社会構造に変化をもたらす大きな社会運動を生んできました。しかし、「怒り」は恨みや復讐心に繋がっていることがあるので爆発しやすく、危険でもあります。怒りが習慣となっている場合には、わずかなことにも過敏になり「不公平なこと」を探し始めたり、喧嘩早かったり、もめごとや訴訟好きな人間になります。

怒りは欲求不満から生じるので、「怒り」以下のエネルギーフィールドに基づいてしまいます。欲求不満は欲望の重要性を誇張する結果です。腹を立てている人は、まるで子供のような欲求不満状態から激怒へと移行することもあります。怒りはたやすく憎しみへと転じ、憎しみは人生のすべての領域においては破壊的な影響を及ぼします。

怒りの感覚はパワーがあるので、恥や罪悪感、無気力と比べると婚活を諦める事は少ないのですが、何かにつけて怒っています。実は昔長い間サポートさせていただいた方の中にも何かと怒っておられて、他の仲人さんとも喧嘩になってまわりまわってうちに来てくださった方がおられましたが、期間はかなりかかりましたが成婚をされました。

落ち込む人は「自分が悪い」「自分には価値がない」となって足を運べなくなってきますし、遮断してしまわれますが、それよりもネガティブなパワーとは言えども怒る人は成婚にいたることの可能性が増えると思っています。昔の私としては少々厄介に感じた事もありましたが、今となれば大きな学びになったと感謝しています。(話題は許可をいただいています)

プライド

プライドは175で測定されますが、実際にアメリカ海兵隊の精神的基盤になるほどのエネルギーを持っています。

プライドは現在人のおおかたが求めているレベルです。下方のエネルギーフィールドに比べるとこのレベルに達すると、人間は積極的傾向になります。自尊心が湧いてくると意識のレベルで経験したすべての苦痛は和らぎます。プライドは自らの格好よさを知っているので、人生というステージでそれを見せびらかそうとします。

プライドは「恥」「罪」「恐怖」といったレベルから十分に上昇しています。一般にプライドはプラスに評価されていて、社会にも推奨されています。しかし意識レベルのチャートから見ると200という臨界点より下にとどまっているため、まだネガティブな状態だと言えるでしょう。これは、プライドがそれより低いレベルと比較した優越感に浸れるものにすぎないからです。

つまり良く知られている言葉で言うと、プライドを持つことで「天狗になっている」ことが問題なのです。プライドは外的な状況に依存しているので、受け身であり、傷つきやすいものです。外部の条件次第では、突然低いレベルに戻ります。膨れあがったエゴは、攻撃に弱いのです。「プライド」を失う恐怖から「恥」のレベルに逆戻りさせられることもあるので、弱いレベルにとどまっています。

プライドは他者と自分を区別するので、派閥争いを招き、結果的に高い代償を払う事にもなります。人はプライドのために死ぬ事もありますし、軍隊は「愛国心」と呼ばれるプライドのために、決まって互いを殺し合っています。

プライドのマイナス面は「傲慢さ」と「否認」です。これらは人間の成長を妨げます。感情的な問題や性格の欠陥を認めず否認してしまいます。名声と信頼をもって、プライドに変わる本当の大きなパワーを得るためには、プライドは相当大きな障害となります。

レッスン③プライドと婚活について

私はこのプライドの意識を手放して、ポジティブなパワー、勇気や意欲、喜びの意識を育てた方が楽だねとお話しています。このプライドの意識は婚活する人にとってくせ者です。

先日も若い人にカウンセリングを行っていて、こちらを説明していたところ、自分はその「プライド」という意識のところで生きている様に感じるとおっしゃいました。

プライドとは自分は正しいという思い込みや、こう生きるべき、こんな風に仕事をするべき、婚活はこうあるべき、結婚はするべき、他人から見た自分はこうであるべき、カッコ良い車に乗りたい、彼女は綺麗な方が良いのは周りの目を気にしているからかもしれない、持ち物もファッションも、仕事への姿勢もプライドがとても強い様に感じるし、そのプライドが逆に自分を苦しめている様にも思うとのことでした。

完璧主義で理想が高いし、自分は絶対正しいのだという強い思い込みがあるから、何かあった時にその自信は風船の様にしぼんでしまうように思います。私はこのプライドと言う意識はご自身が努力して築き上げてきた目に見える形あるもので、それ自体が自信だから、土台がゆるいのではないかと感じます。

人はありのままの自分を受容出来たり、愛することが出来たら、どんな自分の事も受け入れるし幸福度も増すでしょう。でも、自分自身に「こうであらねば愛されない」という作り上げた自信はとても不安定で苦しいものだと感じるのです。

そして、その様にかたい思い込みを持っている事で、他人を責めることもあります。「普通マナーはこうだ!」「これならこうするべきだ!」「許せない!」「あれは正しい、これは間違い」他人が自分の思う枠の中にいないと許せないのです。他人の事をコントロールしたいという思いが出てきている事に気づいた方が良いでしょう。その力は強いようでとてももろく感じます。

まとめ

人類の85%が200という臨界点のレベルより下で測定されるので、現在の人間の意識の総合的なレベルは平均しておよそ204となります。大衆の最低部に位置する大多数の弱い人間は、トップに近い比較的少数の人々によって釣り合いがとれています。世界の人口のたった8%の人たちだけが400の意識レベルで4%の人だけが500かそれ以上に達していて、600かそれ以上の人は数千万人のうちたった一人程度です。

これらの数字は一見しただけではありそうもないことに思えるかもしれません。しかし、世界の状況を調べてみると、ほとんどの人がもはや生きながらえているだけのような状況にあるということが、すぐさま連想できるはずです。飢餓と病気は当然のようにあり、独裁政治が行われ、社会資源に乏しい状態です。そこでは多くの人々が「無気力」のレベルで測定される絶望感を感じながら、貧困生活を送っているということにも気づかねばなりません。

世界の残り人口のほとんどは、文明化された社会であるか否かに問わず、主に恐怖の中で生きているということを理解しなければなりません。ほとんどの人は、安全を求めることに人生を費やすようです。

ただ、「存在するだけ」という状態を超えた人々には、ある程度の選択オプションが可能となりなす。しかし、結局は粉ひき水車に挽かれる穀物のように、欲望のために動きまわる世界経済の材料にすぎず、どんなに頑張ってこれらの欲望を満たしても、しょせん「プライド」に導かれるだけです。250で、人間の意識にやっと何らかの良い事が

現れ始めるのです。

そう思えば、日本で暮らす私たちは、お腹一杯ご飯を食べられる事を当たり前とし、安心安全なお家のベッドで眠れています。それがいかに喜びと通ずることなのかを、私は今以上に噛みしめて喜んで暮らしたいと思います。

朝まで心臓を動かしてくださっている体にも、酷使している目にも方にもありがたさを今一度感じたいと思います。

私に会いに来てくださる方もおられること、成婚退会された会員様のご紹介がいただけること、こうしてお仕事を長く続けさせていただけていることにも、改めて毎朝飛び上がるほど喜びを感じながら、ありがたく一日を始めたいと思います。

いかがでしたか?あなたが今をもっと気分良く過ごすこと、もっと満たされた心でたった一度の人生を楽しく喜んで、生まれ変わったように生きたいと望まれるのなら、それを一緒に取り組んでゆけたらとても嬉しく思います。

それはあなたの自由です。

実はこの本はこんな事はほんの一部であって、とても省略しました。もっと長くてもっと深いことを書かれています。是非一度手に取ってもらえたら嬉しいと思います。私はこの本に出会えた事をとても嬉しく感謝しております。

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