「自分は価値のない存在なのか?」
「自分は必要とされているのか?」
そんな想いがモヤモヤと湧き上がってくるのは、何が原因なのでしょうか?お相手様の態度でしょうか?それともお言葉でしょうか?原因は自分の外にあるのでしょうか?
怒って感情を相手にぶつけてしまったり、落ち込んで自分の殻に閉じこもってしまったり、いずれにせよ幸せや満足感を、感じられない状態に持って行ってしまって、それが「自分のせいだ」「誰かのせいだ」と責めてしまう。生きづらい状態を作ってゆくのです。
私は、いつも愛されたいと願ってきました。
でも…本当は自分を見て欲しいとか、もっとゆっくり自分の話を興味を持って聞いて欲しいとか、自分の価値を認めて欲しいと、母や家族に向かって欲したけれど、そして与えてもらってもいたのだけれど、自分の思う様には与えてもらえず、傷ついたりもして、他の誰かにそれを求め続けてきたのです。
恋人、友達。
先日17ライブデビューした友達がいて、私は仕事をしながら他の誰かのコメントを見ては、一生懸命話しかけてあげているのを聞いていました。そして…ふと思ったのです。私はこの子にいつもこんな風に、ずっと話を聞いてもらってきたことを。そして思春期、この子に癒されてきたのだと。受け流すし、今一つ聞いてない事も多いのだけれど、リアクションしては励ましてあげたりして、多分聞いてもらっている方は、かなり癒されているのだろうな…
大人になった私たちは、ここに自分が存在する価値を、他の誰かに承認してもらおうと求めて、その為に頑張ってしまってはいけません。心から「自分がそれをしたいのだ」と望まぬ限り、「その結果がどうでも全部引き受けよう」そう思わない限りは、やらないという選択が時には必要なのです。
「人の為に」ということが、こんなにも複雑なものだとは、考えていなかった。でも、私は何度かそれにぶつかった事があった。「あの子が心配だから…」「あの子の為に」かけたコトバや、行動が、言うならば仇で返されたと、感じたことが何度かあった。
身を削り、お金も使い、時間を使い、手伝っていたつもり「あの子の為に…」それだって、ひとたび思いもよらないカタチで返された時、「恩知らず」そう感じた事もあった。
なかなか会う事の出来ない彼を待つ私が、「彼の為に…」と待ったのであれば、結果的に、何か相手の言動が自分にとって納得できるものでなかった時には「待っていたのに!」と怒る。最初はそんなつもりは全くないのに、それは見返りが欲しかったから。我が欲望を満たしたかったから。「愛して欲しい」「愛してもらいたいがために」「認めて欲しい」
そうならないようにね、何度も聞いた。自分の心に。
私が求めていた幸せのカタチは、子供が巣立って色んな意味で自由になったから、だから第二の人生を、一緒に楽しんで日常を過ごす事の出来るパートナー。でも、出会った彼はとても忙しくてなかなか会えない人だった。いつも問いかけたのは「待ちたいの?」それだけ。元々せっかちな私が、未来を想像し絶望した時に、手放すのもシャッターを降ろすのも、簡単だった。
「どんどん辛くなるんじゃない?」「私の彼なら、忙しくても会いに来てくれるよ」「遊んでるんじゃない?」そう言われた。もしも私が第三者なら「それって本当につき合ってるの?」「忙しくてもね、会いたかったら会いに来るんじゃない?」ハッキリ言っていたと思う。今まで会えない人とつき合った事もなかった。
何度も自分の心に聞いた?
「本当に待っていたいの?」「他の人探すのが面倒なの?」「執着心だけ?」でも、私が出した答えは、「今は待っていたい」それだった。「待っていたい」その明確な答えが、私の心を整えてくれた。お相手様はどうであろうと関係ない。他の人のコトバも関係ない。私がただ、「待ちたい」から待つのだと。
それは、これからずっとそうなのかどうなのかは、知らないし、それを決めてもないけれど、確かに今はそのようで。
「せっかく〇〇してあげたのに!」それが出てくのなら、初めから何もしない方が良い。
随分昔、ガクトさんが話していた事で、そうだよね…って感じたことがある。
動画は長いから、34分後のボランティア活動の所、良かったら一度みてね。
ガクトさんがボランティアをして叩かれた時、
ガクトさんのボランティアをしているお友達が言ったの。
ボランティアは
感謝されたくてやってるんじゃない。
認めて欲しくてやってるんじゃない。
やりたいからやっているんだ。
やりたい、ただそれだけなんだ。
それでありがとうと言われても、そうなんだと思うだけ。
それで悪口言われても、そうなんだと思うだけ。
「やりたくてやっただけ」ただそれだけなんだ。
あなたの心が、誰かに承認を求めているように感じるのは、勘違い。他人に求めても何の解決にもならない。あなたの心は、他の誰からよりも、あなた自身に承認されたい、もっと見て欲しい、自分の声を聞いて欲しい、それを切に求めているのだから。
あなたはそこに居るだけで、充分価値のある存在なのだと。