ある心理カウンセラーの方が
おっしゃっていました。
人は充足感を求め生きる。
足りないものを満たすべく、
動く。
お金を得たい。
自由を得たい。
好きなことをして暮らしたい。
好きなものを食べて過ごしたい。
何不自由なく思い通りに生きる。
それが幸せ。
有り余るお金を手にして
有り余る自由を手にした者は
南国で何もせずに
優雅にブラブラと暮らし
満足することはできるのでしょうか?
一生幸せに暮らしましたとさ。
チャンチャン
となれるのでしょうか?
そのカウンセラーが言うには、
もしもそれを手にしたら、
南国でブラブラ楽しむ自分
というものを
SNS投稿でもして、
ここに居る自分を
他人に認知してもらえなければ、
満たされないそうな…
死んでしまうそうな…
マジですか…
ここにいること
誰かに認知される必要性。
ここに居るよー
わたしはここに居るのよー
そういう意味で
仕事をしているということは
承認欲求を満たす為の
大きな役割を果たす。
みんな充足感を求めて
結果、満たされた時、
それを手にできた時、
それでも…
幸せになれる訳でもないのなら…
一体、生きる為に
幸せに感じる為に、
人には何が一番必要なのでしょうか?
「刺激」
だそうです。
そんな男、絶対嫌だ!
暴力?ギャンブル?浮気性?
なのに…
ずっと一緒に暮らしている人がいます。
あれは、ある意味
楽しくはないけれど、
「刺激のある人生」としては
知らぬ間に楽しんでいるから
抜け出せないそうです。
青あざを作り
嘆きながら…
それでも自分はその場所から
出られない、
悲惨な人生の中で、
人間としての欲求。
「刺激的な人生」
を得られているそうです。
逃げ出す者は
逃げ出すのです。
どんな状況でも
違う未来を求めるのです。
けれど…
「刺激」がないと生きられない人間。
本当でしょうか…
知りません。
でも…
テレビの視聴率は、
悲惨なニュースが高く、
ドラマや映画それもまた、
何か事件が起こるからこそ
人気になるようです。
ニュースもテレビも
ほぼ見ない私自身は
ちょっとそこまで
テレビで刺激を欲しいとは
考えてないのですが…
確かに…
たまたまつけて
ビックリニュースな内容を見たら
手が止まるかもしれません。
よくよく考えると、
自分でつけてはいないけれど、
テレビがついている部屋にいくと、
まるでくぎ付けの様に、
見ているので…
そうなる事が嫌で、
テレビを逆に
見なくなったのかもしれません…
こんなことする人いるの!
こんなこと言う人いるの!
こんな悪い奴がいるのか!
ドラマとは言え、
なんということだ!
楽しんでいるつもりはないけれど…
果たしてどうなのでしょうか…
「刺激」を欲し
それが生きる理由にもなる。
そうだとするなら…
その性質を理解できたなら、
満たされ過ぎて不幸
ともならず、
一見悪い出来事
にも悲観的になり過ぎず、
良い意味での
人生の刺激を時に選び、
体験し冒険し
生きてゆけるのかもしれません。
そうしたらとても、
幸せなことかもしれません。
満たされ過ぎの充足感で
なぜか幸せを感じられない
そんな夫婦もあるでしょう。
慣れあっても、
刺激を二人で見つけ、
もっと楽しんでいけたら
良いのかもしれないですね…
独身者にとっては
他人と生きる事は
思い通りにいかない
自由も失う、お金もかかること。
その不自由さの中にこそ
真の幸せが見える
そういうこともある
のかもしれません。
色々考えながら…
ひとりラーメン。
かもくらは、半分に麺をした分、
野菜を増やしてくれる。
ありがたいな…
( *´艸`)