いつかは別れる。でもそれは今日ではない

私たちは出会った瞬間から、いつか来る別れに向かって時を重ねている。

それは結婚して人生を長く共にした後の死別もあるけれど、多くの人が結婚までもいたらずお別れしてしまう。そもそも価値観が大きく違いすぎたとか、段々変わってしまったとか、それはもうそのカップルそれぞれに色んな要素が合わさって悲しみの結果を生む。そしてその悲しみの結果があったからこそ又別の出会うべき人に出会う為の悲しみだったのだという所に辿り着いたりもする。

短い限りある命の中で、この出会いに意味があるものなのか、それとも自分が意味を見つけるものなのか、何を目指してどこに歩いているのか分からなくなる事もあるし、思い通りの現実を引き寄せる事に関しても、私としてはとても簡単な事の様にも感じる反面その力が強いからこそ、実は自分の中に隠されている欲しくもないネガティブな現実を無意識の領域から引き寄せてしまうという事もよくある様に思う。

「ずっとラブラブなんてありえない」「永遠に続く愛なんてある訳ない」「自分が愛される価値なんてない」そんな思い込みであなたも自分の世界をつくっていませんか?

物事はいつも表裏一体にあります。

私は誰かと一緒に生きたい、永遠に続く愛へという場所までアクセルを全開に踏み込みながらも、左の足では全開にブレーキを踏みこんでいた。

自立し過ぎている人には、自立の傷がある。昔誰かに依存し生きたがゆえにかなり傷ついた経験から、もう誰もあてにするものかと、誰かに頼ったり人生を委ねる事を恐れ、1人でも生きていけるという現実を作ってしまう人も多い。1人で生きる幸せに安心感があるんだと思う。自立はカッコいいイメージがあり、依存にはネガティブなイメージがあるけれど、共に相手を必要とする意識がちょうど良く両立するくらいの依存もパートナーシップを築く上ではとても大切な要素になる。本当に自立していて1人で良いのなら、もはや恋人など求めず1人で生きたら良いのだけれど、自立し過ぎている人も多くの面倒を懸念しながら自分にとって丁度いい加減の恋人を探し求めているように見える。

もう好きでもない旦那や彼氏といつづけるのは、お金の為という理由も大きい。「その自由が羨ましい」と言われる事は度々あるけれど、それならその様に生きたら良いだけで、でも誰もその道は選ばない。

見たい現実と、思い込んでいる現実、それを統一させる事が自分が生きたい今を、自分らしく生きられる唯一の方法ではないかと私は思う。

もくじ

すれ違い

無神経で余計な一言は口数の多さに比例しても変わる。そして、一般的に関係性が近くなるほど、無神経度合いが増してゆく。

無神経なのか、受け取り方が悪いのか?

自分が言われたら嫌なことは、他人にも言ってはいけないと理解している人は多いが、それゆえに自分目線での尺度であるから、自分なら何も思わない分、神経質すぎるんではないかとか冗談が通じないのか等と言って、受け取る相手に原因があると言い出す事もある。

一緒にいる相手の考え方がネガティブで問題があるとか、軽率過ぎるとか、普通ではないとか、非常識だとか、なので変わってくれ!ではなく、何を言われると相手が傷付くのか、不快に感じるのか、幸せなお気持ちにはなれないのか、逆にどこで幸せを感じる人なのか?常に自分主体ではなく、感じることの出来ない相手の心を無理だからと放り出さず、理解しようとする姿勢がなければ関係はドンドン悪くなるばかりで、傷つける言葉はなくならない。

被害者と加害者

相手を傷つける言葉はことある度に発される事になり、パートナーが常に傷つける人であれば、被害者と加害者が生まれる。常に我が心を守るために構えてしまえば安心して暮らすことは出来ないし、信頼関係を築くことは難しい。

それは受け取る側も結局は同じで、自分なら言わないと言う基準の中で、これを言う相手は、無神経な人間だと、性格が悪いのではないかと、判断する事をやめなければならない。

心底傷つけるつもりなく、その発言にいたった、その心を理解できれば、自分の傷も癒される。

出会った時は素晴らしく盛り上がった2人。

ただ会えるだけでも、そこにいるだけでも、手を繋ぐだけでも、抱きしめ合えるだけでも、嬉しかったのに、いつしか互いに、こうであって欲しい、こんなはずじゃなかったという、足らない部分に目が行き始める。

全く違う家庭環境で育った2人、国と国を一つに統合するくらいに難しい事なのだ。

距離も心も近しい2人だからこそ、押しつけられて生きることは互いに苦しい。遠慮加減や言葉のチョイス、絶えることのない思いやりや、常に理解し合いたいと接する姿勢がとても必要になってくる。距離感に配慮して「干渉しない事が上手くいく秘訣」そうなると逆に離れすぎて他人と変わらなくなってしまう。

対策はあるのか?

相手に傷ついたと伝えられたなら、謝り、傷ついたその心を理解するよう努める。

けれど傷つけるつもりで発してないと伝えられたなら、その心を理解するよう努める。

正悪を決めようとすると、自分を正当化する為に話があちらこちらに脱線する。

それは、正悪を決める為でなく、そう感じてしまったと言う事を、互いに受け止め理解出来るだけでも、良いのではないかと思うのです。

何度も相手の心を逆撫でする言葉を、訳も分からず発し続ける人、そしてその言葉を真に受け取り傷つき続ける人がいれば、いつも仲良く楽しく、安心して愛し合い続けることは不可能だと思うのです。

あなたのそばに何十年経ってもラブラブの幸せなご夫婦はおられますか?ご両親はいかがでしたか?夫婦や家族のあり方はそれぞれにあり、他人が干渉出来るものでもありません。だからこそ閉鎖的になりがちでとても偏ってしまい、終わりなく傷つけ合い続けている家族や夫婦もあります。

合わないピース

合わないピース、合わなくなってしまったピース、無理やりにでもはめ込もうとすれば、お互いに傷だらけになります。あえて離れてみたら又見える世界が変わってくる事もあるでしょう。

私は昔、折原みとさんの本にあったフレーズがとても好きでした。「色褪せてしまった赤い糸も、切ってしまわない限り、また色づく事もあるのよ」

ただ別れてしまって問題解決となる事もありますが、少し離れて俯瞰して自分の人生だけでなく、お相手の人生を想像してみる事も大切な事かもしれないですね。

運命の人と出会えたと盛り上がるお気持ち、そう信じて接する事でそのおつきあいは大きく変わります。ただ本当はその時には運命の人かどうかは分かりません。ただの思い込みです。けれど出会えて良かったと、一緒になって良かったと、何年経っても思い続け、共に人生を歩み何十年も経った時に「あぁこの人が運命の人だったんだな…」と感じられるのではないでしょうか?

素敵なパートナーシップを築いてもらえたら嬉しく思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
もくじ